7月から体調を崩していた
介護中の義母が亡くなり
先日葬儀を終えました。
義母を毎日看ていて
ただの風邪ではないと思い
何度も色々な病院に行って
検査をしたけれど異常はなく。
バイタルが低下して
救急車で運ばれたときにも
肺炎との診断。
でも肺炎だけでは説明のつかない
顔の腫れを先生に訴えたら
追加検査をしてくれて
ようやく悪性リンパ腫と判明。
その時点で余命は日単位だと
言われました。
7月に入り
あれだけ色々な病院で
検査をして血液検査1つ
引っかからなかったのに
悪性リンパ腫?
しかも全身?
余命が日単位?
私にとって
青天の霹靂でしか
ありませんでした。
入院前から耳の下が
腫れて、同時に
顔全体も腫れていたので
お見舞いのときに
「まだ痛む?」と聞くと
「大丈夫大丈夫」と
最期まで気丈で
気品のある義母でした。
94歳。大往生だと言われる
年齢かもしれませんが
家族にとってはやっぱり
寂しいの一言です。
介護が始まってからは
デイサービスの方には
大変お世話になりました。
通っていたデイサービスには
ひよこ親子教室を
10年前に卒会されたママが
介護職員として働いていて
「先生、無理しないでくださいね」
「何かあれば力になりますからね」
とよく声をかけてもらい、
安心して仕事をすることができました。
入院中担当してくれた
病院の先生は
丁寧に説明をしてくださり
どの対応も納得できました。
看護師さんは心根が優しい方だと
すぐにわかるほど、
私の気持ちに寄り添ってくれました。
義母にとって
孫とひ孫が帰省しているときに
葬儀をすることになったこと、
1日ずれていたら、
320名が参加したリズムの講習会や
息子の国家試験と被っていたのに
そうならなかったのは
義母が考えてのことかしら…
そんなこともふと思います。
夫からは義母が亡くなった瞬間に
「今まで(介護してくれて)
どうもありがとう」
と声をかけられました。
義父の壮絶な介護のときも
夫の第一声は
私への感謝の言葉だったなぁ。
親を亡くして悲しいときに
そんな気遣いをしてくれて
私こそどうもありがとうと
言いたかったけれど
義母を亡くした悲しみと
夫の言葉に胸が詰まって
言葉には出来ませんでした。
村田家にお嫁に来て32年。
長きにわたり大変お世話になりました。
至らない嫁だったけれど許してね。
お義母さん、ゆっくりお休みください。
義母さまは、常に周りを大切にして、前を向いて歩みを止めない真由美先生が娘さんになられてお幸せだったと思います。
我が家でも1月に姉が旅立ちました。2年前から大病が見つかり療養していたのですがもう手が届かず、最後は実家で看取りました。
2年前はコロナの三密不可の状態で碌に見舞えず、去年は息子の受験で帰省できず、気がつけば外出が出来ず長話も辛い状態になっていました。
もっと元気な時に話を沢山すれば、一緒に行きたい所に連れて行ってあげていればと後悔ばかりです。
人には限りが有るのだと切実に思い知らされました。
姉には感謝しかありません、いま母は気落ちをして出掛ける気力が無いようですが、母が元気になったら姉に代わり綺麗な場所や美味しい物がある場所へ連れて行こうと思います。
先生の前向きな姿勢は私の目標です、先生のように家族を元気に出来るように支えていきます。
ひよこは我が子達の基礎になっています、これからも先生の活動を応援しています。
小池さん、なんて嬉しいお言葉……
どうもありがとうございます。
お姉様が???
まだまだお若いでしょうに…
小池さんにとって相当ショッキングな出来事だったことでしょう。
親に比べて年齢が近い分、ショックの大きさをお察しいたします。
心からお悔やみ申し上げます。
「人には限りがある」は本当にその通りですね。
私も義母のときに同じことを思いました。
先日、24時間テレビでヒロミが言っていました。「もしかしたら(明日の朝)起きれないかもしれないから、ママ(伊代ちゃん)に「今日もありがとう」と毎晩言っていると。その気持ちとマラソンに果敢に挑む姿がカッコいいな~と心から思いました。
私も私に関わる全ての方に感謝の気持ちをもって生きていきたいと思います。
目標だなんて気恥ずかしいですが、そう言われても胸を張って「ありがとう」を言えるように、これからの人生もがんばります。
卒会生からの言葉は本当に心強いかったです。どうもありがとうございました。