保育園からの卒業

先日保育園の卒園式がありました。

同時に私も保育園を卒業しました。

長文になりますが、もしよろしければお付き合いください。

【保育園勤務に至るまで】

子育てもして、ひよこ親子教室の生徒が120組の在籍とピークだったころ、5年にわたり同居していた義父の介護をしていました。

義父は大動脈乖離を患いましたが、一命を取り留めて当時余命1年と言われていたんです。

高齢の義母に代わり、私は嫁として食事の準備や病院の付き添い、コールが鳴る器具を設置して、夜中に最低3回は義父の様子を看ていました。

病院って健康な人が行っても疲れますよね。義父の体調を考えて朝6時に1人で病院に行って並び、1番の番号札を手に入れて、義父を迎えに自宅に戻り、また病院に連れて行く・・・そんなこともしていました。

義父のためにホームヘルパーの資格も取りました。介護の仕方をきちんと学んだほうが、介護する方もされる方もお互いに楽だと思ったからです。

義父の体調、薬、食事、生活全般に至るまで私が把握していたので、救急車を呼ぶ事態になっても私が同乗しました。(状況説明が出来る方が乗ってくださいと言われるんです)

そんな介護生活を5年続けた後に義父は亡くなりました。

葬儀の後で主人に言われたのは、余命1年と言われていたのに5年も生きていられたのは私のお陰だし、語弊があるかもしれないけど、父親に対する介護に悔いはない、清々しい気持ちだと言ってもらいました。

厳格な義父から亡くなる前に言われたことは「真由美さんは世界一の嫁だ」「これだけの実績があるのだから子育て本を書きなさい」でした。とても重みのある言葉として、今も私の心に残っています。

 

【保育園で働きたい!】

義父の葬儀も終わって2週間ほどたった頃、保育園で働く決意をします。

ひよこ親子教室をずっと1人でやってきたので、保育の視野を広げるために現場に出たいと数年前から思っていたからです。

それまでは教室以外の時間を義父の介護に充てていましたが、義母も元気だったことから新しい世界に1歩踏み出すことにしました。

あっという間に勤務先が決まり保育園勤務がスタート。

5年間の内、4年間はフリーとして全学年の園児と関わっていました。

ひよこで1歳~3歳までのお子さんとの関わりしかなかったので、毎回が刺激的で勉強でした。

色々な学年に入ることで、念願だった他の職員の保育を見ることも出来て、たくさんのことを学びました。

若い先生は園児と同じ目線の高さで一緒に遊び、園児がとっても楽しそう!若さゆえの楽しいアイデアもいっぱいでした。

ベテランの先生からは、行事への指導方法や保育全般に対する姿勢を学びました。

大変なこともそれなりにありましたが、私には保育園の仕事が楽しくて楽しくて仕方がなかったんです。

園児が成長する姿を間近で見られること、こちらがごまかさずきちんと対応すれば、園児がどんどん伸びていくからです。

もっとこうしたい、ああしたいとの思いがどんどん膨らんでいきました。

保育園の学びを教室に、教室での学びを保育園に還元して、5年間で保育の幅が広がったことをありがたく思っています。

そして今年度は初めて1歳児クラスの担任となりました。

「0歳~3歳までの時期は人としての土台を作る時期である」と教室で訴え続けている私ですから、丁寧に保育をして園児を伸ばしたいし、保護者の方にも私の保育士としての経験や知識を少しでもお伝えしたい気持ちがありました。

普段の保育はもちろん、連絡帳や登園時の対応、行事などは私の出来る限りの力を注いできたつもりです。

 

【保育以外の業務】

私が保育園に唯一残せた物は壁面でしょうか。両面仕立てにして、外からも中からも見えるように作りました。今後もずっと使えるように全てにラミネート加工もしてあります。大きな窓が4枚あるので1ヵ月4パターン×12ヵ月分で48個の壁面を作りました。壁面を見て園児に季節を感じてほしい、日本折々の行事を知ってほしいという思いで1つ1つ丁寧に作りました。

また、早番専門で勤務もしていました。他の職員の負担が少しでも軽くなるように・・・という私の勝手な思いからでした。

寝坊してはいけないというプレッシャーから夜は熟睡出来ず、夜中に何度も起きることがありました。また、早番ではない日も早番のことが頭から離れず、夜中に目が覚めて「早番なのに寝坊した!」と1人で焦ることもありました(笑)家事を完璧にこなしてから出勤していたので、早番の日は3時半起きでした。1度も遅刻することなく全う出来たことに心から安堵しています。

園内研修で講師もやらせていただきました。

保育士資格の取得の際に、絵本を見ないで読みきかせをする「素話」という試験がありますが、保育士を目指す人のために講習会の講師をしました。

私は独学で保育士の勉強をして資格を取得しているので、同じ方法で保育士を目指す人のために経験談を本社で撮影して、系列の保育園に配布されたこともあります。

壁面の作り方の講習会も園内で行い、各園の園長先生や保育士に向けて講師をしました。私にとっては当たり前に壁面を作っていましたが、参加者からまたやってほしい、もっとコツを教えてほしいと言われて嬉しかったのを覚えています。

児童館で子育て講演会もしました。今後、子育て講演会に力を入れていきたいと改めて思うきっかけとなりました。

まだあるような気がするけれど思い出せないのでこの辺で。

たくさんの貴重な経験を保育園でさせていただいて、その全てが私の保育の引き出しとなりました。

 

【園児の卒園式】

私の最後の仕事は卒園式の製作でした。

今回の卒園児は私が保育園に勤務し始めた時に1歳児クラスだった園児です。

担任はしたことがないけれど、とっても元気で可愛くて人懐っこくて、たくさん話をした学年でもありました。

そんな思い入れのある学年の卒園式だったので、心を込めて準備をしました。その一部をご紹介しますね。まずは保護者に配布したプログラム。

玄関の看板。パーツは使い回しが出来るように、ラミネート加工してあります。

文字を変えると「にゅうえんおめでとう」「おたんじょうびおめでとう」にもなります。たくさんの仕事を抱える職員が今後少しでも楽になりますように・・・との思いで作りました。

 

【退職の発表後】

今年度も終わりに近づくと、保護者の方は来年度の担任が気になるものです。

ありがたいことに1歳児クラスの保護者から「来年度も担任してもらえますか?」「村田先生がいいです!」仰っていただきました。でも既に退職の覚悟をしていたので、ご期待に添えないことが本当に心苦しかった。本当のことが言えたらどんなに楽か……と思っていました。

そして遂に保護者の皆さんの前で退職を発表することに。3月中旬のことでした。

1歳児クラスの保護者がどんな反応をされるのかが不安でしたが「やりたいことをやった方がいい!」と、力強い言葉を掛けていただいたり、「今までの対応振りはそういうことだったのですね。納得です。」「今は状況を把握しきれないけど、心を整理します。」と仰る保護者がいたり。責める方は1人もいらっしゃらなくて、それがかえって申し訳ない気持ちに拍車をかけました。

今回の卒園児の保護者からもすぐに声を掛けていただきました。

「先生やめちゃうのですか~。登園の時に泣いていた我が子をいつも明るく迎えてくださったこと、本当に感謝しているんです」

そんな風に思われていたなんて想像すらしていなかったので、嬉しくもあり驚きもあり。

ありがたいことに、このようなやりとりが退職するまでの2週間、ずっと続いたんです。

朝の対応を褒めてくださったり、私が書いた連絡帳を褒めてくださる保護者もいました。

私が壁面を作ったことを知っている保護者が多いことにもビックリしました。だって「壁面を作ったのは私です」なんて言ったことはないのですから。お子さんに聞いたのかもしれませんね。特にパパたちから壁面のことを話題にしていただいたことにはビックリしましたし、きちんと見てくれた方がいたことを嬉しく思いました。

また、登園時に応えられる程度のちょっとした子育て相談も、発表後にかなりの数受けました。私に相談したいというよりは、話を聞いてほしかったり、今の方法で良いのか確認の意味で聞いてみたかったり、背中を押してほしいという意味合いが強かったのですが、保護者の話に耳を傾けることが、どれだけ大事なことなのかを実感した日々でもありました。これは保育園だけではなく、教室でも同じことが言えるので、今後仕事をしていく上で心掛けたいことの1つになりました。

 

【お別れの時】

私の信念や美学として、保育園では決して出しゃばらず、自分がするべきことを粛々と全うするだけだと決めて仕事をしていたので、これでも私なりに静かにしていました。(どうでもよい美学ではありますが、女性の中で働く時には意識すべきだことだと思っています)

それなのに、保育園最終日には担任をしていた1歳児クラスの保護者からお花やお手紙をいただきました。卒園児の保護者や他の学年の保護者からも、まるでラブレターのようなお手紙をいただきました。人生48年の中で男性からラブレターをもらった経験は1度ぐらいしか記憶にありませんが(笑)、それを帳消しにするほどの数で、感謝の気持ちと心のこもった熱い熱いお手紙でした。

実は今年度もフリーを希望していましたが、思いがけず担任に決まりました。教室とW勤務で保育園の担任をしていたことを不快に思う保護者も恐らくいらしたと思います。その点は私の中でも1年間葛藤し続けてきたことでした。でもそれを覆すために、出勤した日は300パーセントの力で保育をしてきたつもりです。

退職を決めた理由ですが、色々なタイミングが重なったこと、元気でやる気に満ち溢れているうちに形を残したかったこと、48歳という自身の年齢も考えて、「親子の専門家」という肩書きでひよこ親子教室1本でやっていく。そのような思いで決断をしました。

この5年間、1分1秒も無駄にしない意気込みで走り続けてきたので、やりきった~という思いはありますが、最初で最後の担任をした1歳児クラスを、卒園まで見届けることなく、退職の道を選んでしまったことを本当に申し訳なく思っています。でも次の担任の先生も本当に素晴らしい先生たちなので大丈夫!!園児はこれまで以上に成長を遂げて、保育園で楽しく過ごしてくれると確信しています。

楽しく仕事が出来たのは、寛大なお心で保育園を取りまとめ、心から尊敬する園長先生のお陰だと思っています。園長先生に出会えたことは私の人生の財産の1つになりました。くれぐれもお身体に気を付けてご活躍いただきたいと切に願っています。

余談ですが退職の日の朝、母からメールが届きました。

「おはよう。そしてお疲れさま。良く頑張りましたね。はなまるです💮 最後のご挨拶は泣かないでゆっくりとお話してね。」

はなまるという言葉や、早口の私を戒める言葉を送ってくるあたりが、48歳の私でも母にとっては子どもなのだなぁと思わずクスッと笑ってしまいました。また、短いメールにこめられた母親としての思いも伝わってきて、母親ってありがたい存在だな~と思いました。

結婚して近所に住む娘からは「保育園お疲れ様でした。夕飯作食べに来てね」と連絡がありました。娘なりの気遣いだと思いますが、やっぱり家族っていいなぁと思った瞬間でした。

5年間の保育園勤務はこうして幕を閉じました。

仕事に追われて時間的にキツいことも多々ありましたが、本当にやりがいのある楽しい職場でした。

いつかみなさまにお会いしたときに「親子の専門家として頑張っています!」と胸を張って言えるようになっていたいと思います。

園長先生をはじめとする職員のみなさま、 保護者のみなさま、そして可愛い可愛い園児のみなさん、大変お世話になりましてどうもありがとうございました。

ここで学んだことを活かして新しい道を頑張るのではなく、必ず極めたいと思います。

そしていつか保育園に恩返しが出来たら・・・と密かに思っています。

いつもの5倍にも及ぶ長文にお付き合いいただきまして、本当にどうもありがとうございました。


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